人間は一人では生きられない。人間関係を維持しながらいきてゆく社会的動物であるともいう。

この関係をつくり潤滑剤の役目を果たしてくれるのが言葉である。

おはよう、こんにちは、ありがとう、すみません、いってらっしゃい、おかえりなさい、おつかれさまなど日常会話を交わすことで円(まる)く和やかな雰囲気をお互いもつことができる。

これに、やさしい眼差し、柔和な笑顔、穏やかな挙措動作などのしぐさが加われば親しみが深くなり他人を思いやる心のゆとりができる。

40年代以降、車社会の発展、コンピューター時代を迎えていわゆる文明機器の開発、実用化で生活の利便を得ることになった。

かつて、アメリカ経営評論家、ジョン・ネイシュピッチが“イテクノロジー(高度技術)はハイタッチ(高い人間関係)と同じである”と技術の進歩によって人間関係は失われないと述べていたが、相対的に人間関係が乾き希薄になることは否めないと感じるのである。

文明の進歩→人間関係の希薄 →言葉のやりとり減少という砂漠化の傾向が進んでいると思わぎるを得ない。

スーパーは棚販売、料金はバーコードで処理、ひと言も交わさなくても用は足りる。

公共交通機関の切符は殆(ほとん)ど自動販売、自動改札機運賃表示板は高所でわかり難い。

パスの案内は録音テープと経営効率優先で人間対人間の交流はない。

家に帰ればそれぞれがテレビとご対面で言葉なし。 病院、保健所では問診は少なく、検査と計測器の結果 を告げられて終わり。

3時間待ちで3分診療では医者、患者との会話はない。然しこのような社会背景を嘆くのではなく、与えられた条件としてこれからいかに生きてゆくかを多くの道連れを作って共に歩きたいものである。
過日、友人の見舞いに地方の病院に行った。そこで擦題の“ひとつの言葉”に出会った。

「ひとつの言葉で喧嘩して、ひとつの言葉で仲直り、ひとつの言葉で頭が下がり、ひとつの言葉で笑い合い、ひとつの言葉で泣かされる、ひとつの言葉はそれぞれに、ひとつの心を持っている。きれいな言葉はきれいな心、優しい言葉はやさしい心、ひとつの言葉を大切に、ひとつの言葉を美しく」。