両親の離婚で5歳まで祖母に育てられる身の上であった。祖母の躾(しつけ)は厳しかったが注意、叱責のあと、必ず、ふた親がいないからこんな人間になったと後ろ指をさされないよにと続けたものである。

世間にはいろいろな人がいる。優しい人、よく人の面倒をみる人、温和な人、褒め言葉の上手な人、いつも陰口や悪口を言う人、平気で嘘を言う人、目上の人を尊敬しない、礼儀を知らない言葉、態度、威張る、弱い者いじめをする、約束を守らない、恥を知らない、やる気のない人など善悪とり交ぜている。

このような他人様の言動、仕草を見て自分づくりの糧としなさいと繰り返されたことわざが、“人のふり見て我がふり直せ”である。幼児期に刷り込まれたこの呪文は自戒のひとつとして身についたことは事実である。

小学校2年の時、渡辺銀行の倒産をきっかけとして大不況、4年アメリカでの株大暴落で世界的恐慌の時代には“四百四病の病より貧にまさる病なし”が口癖であったことを子供心に憶えている。

下町的な小店に囲まれた「勢溜(せいだまり)」という広場が子供たちの遊び場である。これを仕切るのは兄(あん)ちゃんと呼ばれるガキ大将である。徒来旧制商業学校の兄貴分がとりしきっていたが、小さい子の支援を得てクーデターをお越し小学4年で兄ちゃんの地位 を得た。その時祖母がつぶやいた。“威張るな、上の者にタテ(反抗)ついても弱い者いじめはしないこと” の言葉は今でも忘れない。

勉強は学校で一生懸命やれば家でやることはない。時間中ばんやりしているからだ。放課後は親の邪魔にならないよう遊ぶこと。勝負ごと、ベーゴマ、メンコ、ビー玉 、体を動かすこと、チャンバラ、戦争ごっこ、陣取り合戦、木登りなどを通 じていろいろ生きる知恵がつく。勝負ごとは小さい子は半返(半分返す)、陣取り合戦でも小さい子は3回までは生かされるなど祖母の差し金を受けて小学4年から中学3年までの長期政権を維持できたことは貴重な体験といえよう。
高齢、少子社会をこれから政治、社会、教育、家庭、地域でどのようにとり組んでゆくかという課題は別 として、更めて高齢者は弱者、障害者として福祉の対象であるという考えを措いて、人生の先輩としての知恵を仰ぐという思いを合わせ持つという発想があるべきだと思うのである。