もともと詩情に欠けているうえ、多感な時代を四季の変化に乏しい満州や台湾で過ごした身では、季節の移り変わりを敏感に受けとめ、自然の美しさを賞でる繊細さをもち合わせていないことを、口惜しく腹立たしく思う年になったが、かといって、自分の人生のめぐり合わせを悔やむ気はない。

ネオンの輝きが、夜空に霞めば春、日暮れどき鮮やかさがなければ夏、透明な夜空に際立つは秋、寒さにふるえている星とのコントラストを描いているときは冬。それよりも女性の装いで、早春、晩春、初夏、盛夏、秋立ちて晩秋、初冬、晩冬とキメ細かく季節の変化を感知する人間臭い能力はあるつもり。

「らいふの会」のメンバーに野草、花木など教えていただき、図鑑片手のウォーキングが、文字通 り華やかに豊かになったことはありがたいことだが、やはり「自然も好き」だが、「人間大好き」のパターンは変わりそうもない。

三味の音にのって“梅は咲いたか桜はまだかいな”の文句を聞いて“あっ春だな”と感ずるとすぐにも、送られる人、迎えられる人の宴席を思い浮かべる。

セットしたての髪型で、春らしい装いをこらした母親に手を引かれ、期待と不安を笑頼に包んだ小学1年坊主。なんとなく制服の身丈がピッタリせず、照れとはにかみで母親と距離をおいて、うつむき加減の中学1年生が入学式に向かう風景を微笑みながら眺めて、今年は桜の木の下での記念写 真が撮れなくて残念だが、新しい友達との出会いを大事にして、健やかにたくましく伸びてほしいと願う気持ちが年々強くなるのを感じる。

春の風物詩である選抜高校野球のTV中継で、平成5年に定年退職した前野球部長の応援席でのインタビューは悲しくて辛い。

3月年度末での異動、転勤はまだしも、退職して去る者、明けて4月に新入社員、職員として、夢と希望に満ちて新しい人生のスタートをきる者。陰と陽、悲喜こもごもおりまぜて、まさに、春は別 れと出会いの季節で、いつものことながら心が騒ぐ。

しかし「活年」の知恵は、生別、死別、組織との離別は、人生のあやとして受けとめ、それをバネとして新しい出会いを求め続けるたくましさと、一回きりの自分の人生にとって、本当の別 れは「死」であるとささやいている。