育児から育自       

  「この子だけは幸せに」と願っても

幼児(おさなご)の微笑の魅力はなんと大人の心を素直にさせるものでしょう! にっこり笑って何やら無心に「アパパ」と言葉にならない声を出し、私を一気に幼児の世界へひきずり込んでいきます。

鼻にしわ寄せてカッカッと笑うほっペに出来るしわは、この子のひいおばあちゃんにそっくりだって、今日初めて発見。

じっと見つめて恐れを知らないこの子の信頼を裏切ることなぞあってはならないと、純粋な気持ちにさせられます。疲れも吹っ飛び抱き上げ、頬ずりして「大好きよ!」とまた2人で一騒ぎ。

赤ちゃんが居るということは、そこに赤ちゃんが居るということだけで大人たちを幸せな気分にしてくれるものだとつくづく思うこの頃です。

ところが、今日も相談がありました。

子どもがまったく言うことを聞かない。何を考えているのかわからないと。抱きしめて、頬ずりして、「世界一幸せ」と、思っていた親子の充実感が、いつの間にうっとうしい存在になり、お互いの思いがすれ違ってしまったのでしょう。毎日、毎日、繰り返される日々の暮らしの中で交わされる夫婦の会話、思いのやりとり、「幸せよ」という家族の空気も、いがみ合い、憎しみ合う家族の思いも、みんな敏感に感じとって、赤ちゃんは安心したり不安になったりしながら、成長していくものなんですね。

言葉の理解がなくっても、思いの世界は共通です。お母さんが、イライラしている時は、夜ぐずって寝なかったり、お父さんも早く帰って来て、みんなが落ち着いた気分で食事の出来た夜などは、早くぐっすり寝てくれたりと、こんな経験ありません?

この子が大きくなって、生まれて来て良かった、ここの家族として生まれて来て良かったと思えるような、そして幸せだと思えるような暮らしであって欲しいと願うなら、周りに居て、成長していくこの子の心にいろいろ影響の大きな大人の暮らし方、生きる姿勢が大切なんだと改めて思うことが多くなりました。両親が諦めた暮らし方や、けんかばかりしていて「この子だけは幸せに」と願っても、なかなかむずかしい願いではないかと思います。