育児から育自       


「親が手のかかる子にしていると思う」ベビーシッターの話です。1歳8カ月の女の子のことが話題となり「チャ、チャ」と言ったらさっとお茶を出してやってください、「○○○」と言ったらビデオをかけて。まだはっきりしない幼児語を聞き分けて、サッと対応して欲しいと。「ウンチをしたらその都度裸にして、シャワーでお尻を洗い流してください」とお母さんからのお願いだったそうです。こんなことをしていたら神経質で、我がままな子になってしまうのではないかとシッターが心配していました。この子ばかりではありません。

先日、我が家に遊びに来ていた孫たちの友だち、幼い兄弟が「クシュン」とくしゃみをしたら「さあ、お薬のみましょう」と用意してきた薬を飲ませていました。「風邪をひいているの?」「ううん、でも用心して」。うっかり、くしゃみも、せきも出来ないと思いました。あまりにも素早い対応は、せわしない、落ち着きのない子にしてしまうと心配です。今、自分が何をしたら満足出来るのか、何をしたいのか、わからない子になってしまうと思います。子どもたちは少々熱があっても、元気に遊んで、食欲もあるようなら、充分な水分をあげていれば、そう気にしなくてもじきに治っていくものだと、私たちは教えられたし、そうして自分の子をみてきました。先先に手を打って、薬ばかり飲ませていると、自分で回復していく力、治癒力をも弱めてしまうことになりませんかね。

子どものやる気をなくさせるのも、この先回りにあると思うのです。まどろっこしいとイライラしても、ちょっと待ってやることで、子どもはたくましく育っていくのです。「出来た、自分でやれた」という喜びは、ボタン1つはめられたことでも、うんとお兄ちゃんになった気分で、自信を持つようになり、さて次は何をしようかなと目も輝いてこようというものです。黙っていても子どもたちは、大人の真似をしてみたいと思っているし、好奇心は旺盛で、何にでも手を出していくものです。親の思いの線上に子どもを置いてあれこれ手出し、口出しのやり過ぎは子どもたちの大いなる可能性の芽を摘んでしまうと心配です。大人をコピーしたような子には決してしないように気をつけたいと思います。

子どもは育つもの、育てるものではないと思っています。