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いろんな子がいる。明るくて活発な子、控え目でおとなしい子、騒がしい子、すぐ泣く子…。子どもだから、大勢を集めて話をしても、すぐにわいわいがやがやとまとまりがなくなる。それが子どもというものだ。

「うちの子は落ち着きがなくて…」とこぼす親がいる。「なにをやらせてもすぐ飽きる」と、なかば匙を投げている親がいる。ときには我が子ながら「このくそガキ!」と思ってしまう。無理もない。落ち着きがなくて、すぐ飽きるのが子どもなのだから。

そういう子どもたちだけれど、ひとたび夢中になれば驚くべき集中力を発揮することがある。一心不乱になって取り組む様は、我が子のことならなんでもわかっていると思っている親をも仰天させる。子どもが眠っていた能力を開花させる瞬間だ。

そういうものがどこかにあればいいな、とたいていの親は思っている。でも、なかなか見当たらない。習い事をいくらさせても、テレビゲームをしているときほどの集中力は見せてくれない。ああいうどこか不健康な遊びでなく、健全で、子どもが夢中になれて、そのうえ想像性を育んでくれる遊びはないものか。


右から「つみ木おじさん」の荻野雅之さん、長男の慶昌さん、奥さんの絹代さんと「楽つみ木」




「つみ木のシャワー」が降って来た

 
「くそガキを芸術家にして帰す。それが『つみ木ひろば』なんですよ」

満面の笑みでそう語るのは、山梨県で家具工房『木楽舎』を営む荻野雅之さんだ。荻野さんは奥さんの網代さんと2人、7年前から手作りの積木を携え各地をまわっている。行った先で開催する『つみ木ひろば』は、幼児や小学生、その保護者を対象にしたイベント兼ワークショップだ。取材に訪れたこの日も、会場となった大月市のホールには赤じゅうたんが一面 に敷かれ、その上にいくつもの積木が詰まった箱が置いてあった。赤じゅうたんのまわりに集まった親子の数は100名ほど。みんな、これからなにが始まるのか、子どもも大人も目を輝かせて待っていた。

「は−い、みんなここに一列になって寝てくださーい」

「それでは皆さん、始めましょう」

荻野さんのかけ声で背丈も異なる子どもたちがじゅうたんの上に横になる。子どもの数が多いので、今日は2列。正面 から見ると、赤いじゅうたんの上に2本の橋がかかったかのように見える。

「さあ、目を閉じて。開けていいって言うまで開けないでね」

さっと手で目を隠す子どもたち。荻野さんと、長男の慶昌さんが箱を持ち上げ列の端に立つ。

「行くよォー!」

次の瞬間、ホール中に子どもたちの歓声があがった。箱からこぼれ落ちる無数の積木に子どもたちが呑み込まれていく。「まだまだ」と、次から次へと「つみ木のシャワー」が滝のように降って来る。

「目を開けていいよ」

言われなくても開けずにはいられない。自分を埋め尽くした何百個、何千個の積木に誰もが興奮している。今日はこれを使って遊ぶのだ。





さあ、つみ木ひろばの始まりだ

小さな手が積んだつみ木の造形は、小さな建築であり、感動する芸術作品
 
木工家である荻野さんが休日を返上して各地で『つみ木ひろば』を開くようになったのは、言ってみれば「なりゆき」が為したものだ。そのキッカケとなったのが、『ポール・ラッシュ祭』だった。これは毎年八ヶ岳山麓で開かれる「収穫祭」。ここに荻野さんも『木楽舎』のテントを張って自作の家具を展示していた。大量 生産品とは違う、オリジナリティー溢れる家具の評価は高かった。ただ、一緒に行っている絹代さんや2人の子どもから見れば、褒められていい気分になっているのは父親だけ。不満が蓄積し、そのうち家族が一緒に行くことはなくなった。

木で家具を作っていれば、当然端材が出る。捨てるにはもったいないが、といって製品にするには足りない。ある年の『ボール・ラッシュ祭』で、荻野さんは端材で作った積木を展示した。提案したのは家族だった。「子どももたくさん来るお祭りなんだから、子どもたちが喜ぶようなものも持って行ったらいい」と言われた。「それなら一緒に行く」とも。

テントには2500個の積木が並んだ。最初のうちは素通りしていた客のなかに「おじさん、これで遊んでいいの?」と尋ねて来る子がいた。「いいよ、そのためのものなんだから」と領くと、男の子は夢中になって積木を組み立て始めた。すると、まわりからもどんどん人が集まってきた。作った本人ですら「たかが積木」と思っていたのだが、どうもそうではないようだ。ひたすら熱心に積木を並べる人々の姿を見て、荻野さんは「これはひょっとして」と思った。「ひょっとしたら、すごく楽しいことができるかも」と。そこから『つみ木ひろば』はスタートした。

ごみは、誰かがひとつでも捨てれば、「あ、ここに捨てていいのか」とまた誰かが同じ場所に捨てる。それが人間の心理というものだ。要は「赤信号、みんなで渡ればこわくない」の原理。茂みにひとつごみを見つけたら、その奥も見てみる。すると必ずといっていいほど別 のごみが落ちている。あとは道路沿い。とくに今日の場所のように道から少し離れただけで沢になっていたりして土地が傾斜している場所は捨てたごみが目立たない。捨てる側にとっては好都合な地形だ。

「楽つみ木」と名付けたヒノキで出来た積木は製品化され、デモンストレーションを兼ねたワークショップを開くようになった。その結果 、各地のお母さんたちが主体的に動き、幼稚園などの教育機関、地域のコミュニティーから開催の依頼が舞い込んできた。7年目の現在では、年間2、30カ所をまわるようになった。気が付くと荻野さんは「つみ木おじさん」と呼ばれるようになっていた。



幼児から小学生高学年と、父兄が一緒になって「作品」を組み立てる

 
「つみ木シャワー」から1時間後、いつの間にか赤じゅうたんの上はさまざまな積木の造形に埋め尽くされていた。2歳児、3歳児から小学校の高学年まで、そればかりか父兄まで一緒になって「作品」を組み立てている。声をかけるのもはばかられるほど真剣な顔。かと思うとパッと花が咲いたかのように笑う顔。本気で取り組んで、本気で楽しんでいる顔ばかりだ。

驚くのは、わずか3種類しかない積木から生まれる「形」の多さだ。壁がある、家がある、ビルがある、トンボにニワトリに犬に馬、飛行機もあるし、汽車もある。大人の背丈より高い塔を建てている女の子たちもいる。1人で作っている子もいれば、数人で協力しあっている子もいる。誰が決めたわけもでないのに、組み立てている子と積木を拾って来る子と、いつの間にか役割分担もできている。「ね、子どもってたいしたものでしょう」と荻野さんが言う。

「私もやっていて気が付いたことなんだけど、『つみ木ひろば』には子どもの能力を高めるいくつもの良い点があるんですよ」

まず想像力。そして表現力。それを実現させる計画性や積木の構造に対する理解力。加えて数人で物を作ることで育まれる協調性と社会性。ひとつひとつの積木を組み立てることで養われる辛抱強さに集中力。それになによりも作品を完成させることで得られる充実感。シンプルな積木が与えてくれるものは、大人が考えている以上に大きいようだ。

だが、『つみ木ひろば』はそれだけではなかった。そろそろお昼、という時間。マイクを握った荻野さんが一旦休憩を呼びかけた。全員が赤じゅうたんから下がり、荻野さんがひとつひとつの作品をまわりながら作者のコメントを拾っていく。派手な造形なものにはそのフォルムの見事さをたたえ、小さなものにはそのシンプルさに感心し、未完成品に対しては「未完成だから素晴らしいんだよ。君にはまだ夢の続きがあるんだよね」と努力を評価し、一律の組み立て方をしているものにはその集中力を褒める。そのたびに拍手がわく。みんな照れながらも嬉しそうだ。人間、褒められればやる気になる。子どもの持つ「褒められたい願望」を満たしてあげることも『つみ木ひろば』では大切にしている。

最後に驚くことを荻野さんは言ってのける。

「これから、この積木を崩します」

「えーつ!」

会場がどよめく。

「もったいないと思うだろうけれど、これを崩して、午後はもっとすごいのを作ってください。そうすることで、さっきまでとは違う新しい自分を発見してください」

そうなのだ。これまでの自分をいったん壊し、新しい可能性を探る。これが『つみ木ひろば』の真髄。壊しては作り直すことで、作り手はどんどん成長していくのである。

シンボルのように屹立する塔のまわりに子どもたちが集まる。

「積木さんにありがとうと言おうよ。そして、やさしく崩そうよ。イチニノサンで押してください。それではいきます。イチニノサーン!」

ガラガラツ。全員に基部を押された塔は瞬時に崩壊した。悲しそうな顔の子はいない。むしろ笑顔だ。また作ればいいのだ。


「イチ二ノサン!」で作った作品を壊し、壊しては作り直すことで成長する。これまでの自分を壊し、新しい可能性、新しい自分を探る


(上)「楽つみ木」は正立方体に台形、板状の長方形の三種類をたくみに組み合わせ、創造は無限大
(下)荻野さんがひとつひとつの作品をまわりながら作者のコメントを拾っていく。大きなもの小さなもの未完成なもの、そのすべてを褒める
 
『つみ木ひろば』で使用している積木は1万5000個。多いときは2万個が用意される。直径3センチほどの積木をひとつ拾って嗅いでみる。ほのかに鼻孔をくすぐるのはヒノキの香りだ。さきほどからホール全体にくゆりみちている良い匂いは木の香りだったと気付く。まるで森林浴をしているようだ。

「楽つみ木」は正立方体に台形、それに板状の長方形の3種類。すべてはヒノキの間伐材で作られている。シンプルながら、そこには荻野さんの工夫が詰め込まれている。

「台形の積木は5個組み合わせるとアーチになります。古代ギリシャ、ローマ建築などを参考にしました」

積木づくりは夫婦の仕事。荻野さんが切り出した積木を網代さんがやすりにかける。東京にいる娘さんも帰省した際には手伝う。慶昌さんは製作はもちろん、『つみ木ひろば』には欠かせないスタッフでもある。

ひとつひとつは小さくて軽い「楽つみ木」だが、そこには木材に携わる人間ならではの木や山への想いも込められている。

現在、日本の森の約半分は杉やヒノキの人工林だ。人工林は天然林と違い、人の手が入らないと荒れてしまう。ヒノキのように成長のはやい木は、植えてからだいたい15年もすると密生状態となる。こうなると陽光が森全体に行き渡らず、土が衰える。木自体も成長が遅くなる。日陰となり衰えた土には下草が生えることもなく、土壌全体が痩せてしまう。こうした土は雨に弱く、崩落の原因となる。そこで必要となるのが余分な枝を払う枝打ちや間伐。その後のバランスの取れた土壌を維持するための下草刈りだ。山を保全するためにもこうした作業は必要なのだが、現在の日本では残念ながらそれが十分には行われていない。

なぜなら安い外材に押され、国内の木材が売れなくなってきているからだ。このため林業は振るわず、必然的に山の整備も不十分となっている。それゆえ、荻野さんは間伐材にこだわる。用途はなんでもいい。間伐材を使うことが日本の山を守ることになる。小さな積木に託された願いは、実は環境問題へとつながっている。

「荒れた森でも、間伐をして整備をすれば4、5年で元気な森に生まれ変わります。積木でも割箸でもいい。間伐材の需要が増えれば丈夫で健康な森も増えていくんです」

実際、各地の幼稚園のなかには『つみ木ひろば』を参考に「楽つみ木」による教育や遊戯を実践しているところが増えつつある。数の少ないただの積木セットでは飽きてしまう子どもたちも、何100個、何1000個という無数の積木となるとわけが違う。たくさんの積木は、それだけたくさんの発想を満たしてくれる。数の多さは可能性を広げてくれるのだ。
 

(上下)作品が線路や川や道路や橋でひとつにつながると統一された別の作品に姿を変える「つみ木の王国」の誕生だ 
   
昼食を挟んで2時間ほど。赤じゅうたんの上は午前中にも増して賑やかとなった。ここでまた荻野さんが仕掛けた。

「では、みんなの作品と作品をつなげてください」

それぞれ点在していた作品と作品が、線路や川や道路や橋でつなげられていく。数10の作品が、たちまちひとつとなっていく。10分後にそこに出現したのは、あろうことか未来都市のようなひとつの町だった。

まるで宮崎アニメか『スターウォーズ』に出てくるような塔の林立する「つみ木の王国」に、まわりの大人が唖然としている。誰かが設計したわけではない。子どもたちみんなが好き勝手に組み立てた大きさも形もそれぞれ違う作品が、統一された別 の作品に姿を変えたのだ。目の前の積木を熱心に組み立てていたら、それが町になっていた、という具合だった。

最も高い塔は、大人の背をはるかに超えている。小学生が脚立を使って積み上げたのだ。また先ほどのように、ひとつひとつの作品が紹介され、拍手が繰り返される。そして最後に、次の自分へのための積木崩しが行われる。「またやりたい」と子どもたちが叫ぶ。

「見ててください。このなかから必ず芸術家や建築家になるような子が現れますよ。私はそれが楽しみなんです」

『つみ木広場』は一家の絆も深めてくれた。荻野さんはそう感じている。そればかりではなく、参加する若い親同士の交流にも一役買っている。

「家にこもっているおかあさん。どうか『つみ木ひろば』に遊びに来てください」

親にも子どもにも、きっと新しい世界が開けるはずだ。




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