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(上・下)吉田家住宅の全景 |
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当主の吉田さんは 「ご先祖様がこの土地に暮らしはじめて、たぶん自分で17、8代目」と言う。 「なにしろ昔のことだからよくわからない。この家にしたって、建てたのがいつかはっきりしているだけで、憶測だらけなんですよ」 たとえば、誰が建てたか。技術の高さを見ると、どうもこの辺りの大工ではなく、江戸から腕のいい棟梁を呼んだらしい。広い土間に板間はなにかの商売に使っていたらしいが、なんだろう? 屋号の『しょいや』からすると、どうも「背負い(しょい)」を生業としていたらしい。現代で言えば運送屋さんだ。二階は普通 養蚕に使うが、この家の場合はそうではなく寝所にしてたらしい。と、こんな感じで専門の研究者たちが侃侃諤諤(かんかんがくがく)と正体を探っているが、すべては憶測。そこがまた謎めいていておもしろい。 吉田さんは6人兄弟の三男。子どものころは実際にこの家で暮らした。サラリーマンを経て、内装業者として独立。家の事情でこの実家を引き受けることになったときは「正直、解体しようと思っていた」という。「でもその前に、これだけ古い家なんだから、どれくらい古い家なのか調べてみようという気になったんです」文化庁経由で専門家に依頼してもらい調査を進めてみると、柱に貼り付けてあった棟札(祈祷札)が発見された。そこには「享保六丑歳霜月吉祥日」の文字があった。 「もったいない」の声が上がった。 「学術的にも貴重なものらしい。これは行政に協力を仰いででも残すべきだ。そういう結論に達したんです。生まれ育った人間にしてみれば、へえそうなんですか、といったところですが、それなら保存してみなさんに見てもらおうということにしたんです」 町の教育委員会から県、そして国と、文化財としての指定が進んだ。ただし、所有者はあくまでも吉田さん個人。運営も吉田さんと奥さんの千津代さんが行っている。 |
(上)年末の門松づくりと (下)お餅つき |
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この種の民家といえば、たいていは覗くだけ。座敷に上がりなかを見るか、へたをすれば外から眺めるだけと相場が決まっている。しかし、『吉田家住宅』はひと味違う。まず入場は無料。やって来たお客さんは囲炉裏に当たり、お茶をふるまわれ、団子やうどんに舌鼓を打ち、番をしている千津代さんとのお喋りを楽しむ。眠ければ座敷で昼寝をしてもいい。そればかりではない。予約すればわずかな使用料でフリースペースとしての利用もできる。コンサートを開いたり、絵画展を催したり、紙芝居をしたり、工芸教室をやったりと、自由な活用ができる。いい意味でゆるい。だから居心地がいい。常連さんのなかには何時間も過ごす人もいるという。 ところで、国の重要文化財と聞いて思い浮かぶのは使用上の制約である。だが、訊いてみると「運営はあくまでも個人だから自由。行政からは、最低限柱さえ切らなければいい、と言われています」。行政は細かいことを訊くと体質的に「NO」と首を横に振るものだ。かりに「YES」だとしても数年もの時間をかける。自由な運営をするコツは、よけいなことは口に出さないこと。おかげで『吉田家住宅』にはほかの地方の保存民家にはない「現役感」が満ち満ちている。やはり、家は使ってこそ生きるものなのだ。 『吉田家住宅』で催されるイベントには、吉田さんたちが自主開催するものと、利用者が開催するものの2種類がある。 「私たちがやっているのは夏のクラフト展や年末の餅つき、門松作り、それに町の小学生を対象にした団子作りなど。やっばり囲炉裏を使うものは人気がありますね」 囲炉裏には、昔の人の知恵が隠されている。「灰に埋めて熱した団子を子どもさんたちに食べさせてあげるでしょう。子どもたちは正直だから、灰に手を突っ込んで、わあ熱いとか、わあ汚いとか言いながらも喜んで食べる。その後ろではお母さんたちが嫌そうな顔をして見ている。で、子どもたちに説明してあげるんです。灰のなかは熱いだろう。熱いってことはばい菌を殺しちゃうってことなんだよ。だから、この団子はすごくきれいな団子なんだよって。そう言うと、お母さんたちも、ああそうだったのか、と目から鱗が落ちたみたいに感心してくれるんです」 |
(上)七夕祭り (下)フルートの演奏 (上)クラフト展 (下)墨絵教室 |
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休館日は月曜と火曜。それを利用して吉田さんは裏山の手入れをしている。吉田さんの頭のなかにあるのは、自分が子どものころに馴れ親しんでいた雑木林の里山だ。杉や檜の伐採が進んで新緑や紅葉の美しさを失った故郷の山を、もう一度色鮮やかなものに戻したいと願っている。 「へんに整備した公園的なものでなく、できるだけ自然に近い形でね。1人でやっているんであと5年はかかるかなあ」 大変だが、楽しそうだ。 ほかにも肉体的にきついことは多い。囲炉要で燃やす薪は県内の森林公園からもらってくる。それを全部自分たちで薪のサイズに割る。情感豊かな茅葺き屋根も、25年に一度は葺き替えなくてはならない。その費用の自己負担もあり、毎日の維持費だけでも相当なものだ。 吉田さんは普段は本業の内装業で忙しい。住宅を切り盛りしている千津代さんは 「私はこの家の奴隷です」 と笑う。だが、『吉田家住宅』の半纏をまとったその笑顔は、やはり楽しげだ。 よく知った顔の人もいれば、ふらりとやって来る初めての人もいる。雑誌やテレビなどメディアの取材や撮影が来ることもある。山間の民家は、静かな環境にありながら、多くの出会いを生んでいる。それが吉田さん夫妻にはなによりも楽しいことなのだろう。 |
囲炉裏<いろり>で団子を焼きながら来訪者と交わる千津代さん(手前) |
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