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2006年8月28日。その日、東京芸術劇場は普段とは一風変わった熱気に包まれていた。池袋駅西口にある劇場にやって来たのは3台の貸し切りバス。そのなかから、中ホール目指して続々と人々が降りて来る。そして、その何倍かの数の人が電車やバスでもやって来る。控室はたちまち満杯。舞台の準備をする出演者で溢れる。そうとは知らない人が見たら、いったいこれはなんだ? と首を捻るような光景だ。なにかのコンサートか発表会があるのはわかる。しかし、幼稚園児程度の子もいれば70代、80代の高齢者もいる。男も、女も、車椅子の身障者もいる。まるで寄せ鍋を思わせるような雑多な顔ぶれに、その熱気に驚く。

これがコーラスグループ『コールコアラ・コアラinDaisy』が行っている『福祉ふれあいコンサート』。今回で32回目を迎えた、健常者でも障がい者でも誰もが参加できる手作りのコンサートだ。総勢500名の出演者を監督するのは声楽家のつだゆりこさん。かれこれ31年にわたってグループの活動を支えてきた功労者だ。

午後2時、つださんの合図で幕が上がる。あっと驚くのは、舞台に立っている人の数。ステージの端から端まですべてが出演者で埋め尽くされている。なぜかは簡単、そのほうがスムーズに舞台が進行するからだ。出演者には高齢者が多いし、身体の不自由な人も少なくない。いちいち入れ替えていたのでは時間がかかる。だったらその分、少しでも多くの出し物を見せたい、という配慮だ。

「ですから、出演者のみなさんには、舞台から客席を眺めるのもいいものよと言っているんですよ」

そう語るつださんには、もうひとつの狙いがある。『福祉ふれあいコンサート』が目指しているのは「舞台と客席が一体になるような、舞台が客席で、客席が舞台になるような」コンサート。だからみんなを最初から舞台に上げて緊張をはぐしておく。こうすることで「あなたも主役、実行委員、すべての人が主役の気分になり夢中になれる会」ができてゆく。それこそがつださんが理想とする『福祉ふれあいコンサート』なのである。

1曲目のコーラスが始まる。『夜来香』、『野に咲く花のように』、『泉のはとり』と、つぎつぎと合唱がつづく。6曲目の『霧の摩周湖・谷間の灯』は客席の人たちも一緒になっての全員合唱。駆けつけてくれた荒川区長の挨拶もある。そして和太鼓や舞踊、民踊と伝統芸能がつづく。ソーシャルダンスに車椅子ダンス、クラシックバレエ、フラダンス、あとにはマジックショーや独唱、ジャズダンスなども控えている。フィナーレは舞台も客席も一体となっての大合唱。4時間45分にも及ぶコンサートは感動と興奮の坩堝(るつぼ)となって幕を閉じる。最後に残るのは充実した笑顔、笑顔、ただそれだけだ。

「主催者としては至らないところばかりが目について……本当に、90%は反省点ばかりなんですけれど、あの最後のみんなの笑頗を見たら、許してもらえるかなって気になります」

大一番を終えたつださんも安心した様子。それもそのはず、大勢のボランティアが支えてくれて実現したコンサートではあるが、基本的にはつださんが1人で作ってきたコンサートなのだ。コーラスの指導はもちろん、事務局としての裏方作業、バスの手配も自分でやったし、劇場側との折衝や舞台の打ち合わせも自らこなしてきた。はっとするのも無理はないのである。








第32回福祉ふれあいコンサート(H18.8.28池袋の東京芸術劇場)は、楽しく活気溢れるステージでした。
 
『福祉ふれあいコンサート』の最大の特徴は障がい者が自ら参加して楽しめる点だ。舞台に立てば障がいがあっても「スター気分になれる」のがいいところ。こんなコンサートが生まれたのは、やはりつださんのカによるところが大きい。

が、本人に言わせれば「たまたまの産物」だったという。つださんの本業は音楽家としての個人教授。自分の教室の生徒にピアノや歌などの音楽を教えるのが仕事だった。生徒は子どもや趣味で音楽を楽しむ人、それに音楽を必修とする保育園や幼稚園の先生、福祉施設の職員などがいた。そうした教え子たちとの交流のなかで、あるとき 「荒川区の障がい者福祉センターに来てもらえませんか」という話があった。

「聞いてみると、センターに集まるお母さんたちがクリスマス会でコーラスをやるから指導してほしい、という話でした。で、行ってみたら、なにしろ障がい者福祉センターでしょう。そこにはお母さんたちだけじやなく障がいを持ったお子さんたちがたくさんいたんですね」

これがいまに至る障がい者たちとの出会いとなった。

「お母さんたちが言うんですよ。自分たちも音楽会に行きたいし、そういうものに参加してみたい。でも障がい児連れで受け入れてくれるところなどはなかなかない、まして障がい児が参加できる音楽会などないと」

つださんは思った。

そういう音楽会があってもいいんじやないだろうか……。

目の前にはかわいい子どもたちがいる。

「言葉が出ても出なくても、耳が聞こえても聞こえなくても、この子たちを舞台に立たせてあげたい」

自分がやればいいのだ、と思った。幸い、ホールを借りての発表会ならピアノ教師としての経験があった。なにも迷うことはなかった。

「こういうきっかけですから、福祉だとかボランティアだとか、そんなことは全然意識しませんでした。音楽家なんていうのは良くも悪くも世間知らずですから、言われればその気になってやってしまうものなんです」

つださんの頭にあったのは、当時から平等の精神だった。なかには「障がい者を舞台に上げるだなんて、晒し者にするつもりか」という非難の声もあったが、多くの人は賛同してくれた。まずはセンターに集まるお母さんを対象に歌唱指導をスタート。年を経るにつれ、そのネットワークを広げてゆき、昭和60年には『科学技術館サイエンスホール』での手作りコンサートを実現した。以後、コンサートは大小合わせて32回。東京芸術劇場だけでも4回に及ぶ。参加団体もいつのまにか約40と膨らんだ。小さな思いから生まれた活動が大きな花を咲かせたと言えよう。




声楽家としての活動(チャリティーコンサート・オペラ夕鶴)ほか。
 

お母さんたちの合唱団に『コールコアラ』という名称をつけたのは14年前のこと。ネーミングには「あらゆる人たちと動物のコアラのようにおんぶしたり、だっこしたり」という自分たちの気持ちが込められている。練習は月2回、荒川区の施設を利用して行われている。朝から夕方までみっちり。だが、生徒はみんな、とくに障がい者の人たちはこの日が楽しみでならないようだ。

「障がい児たちに音楽を指導して見つけたのは、彼らのなかにある素晴らしい感性でした」

型にははめたくない、というのが指導者としてのつださんのポリシーだ。

「で、勝手にやらせておくのですが、本当に自然でよけいなものがないんです。とても楽しそうで、内から出る力でひたむきに取り組む。ダワン症の子たちなど、すごくリズミカルで驚かされます」

区立の障がい者福祉センターといえば、その区内に生まれた障がい児のすべてが一度は通 過する施設だ。だから、最初は赤ちゃんだった子どもたちが10年、20年と活動していくうちに大きくなっていく。つださんにとっては誰もが家族も同然の存在だ。こうした子たちに音楽だけでなく生活指導をするのも、いつしかつださんの仕事となった。そして、本人が意識せぬ ままその行動は福祉活動と認められていくこととなった。

「いつでしたか、センターの所長さんに言われたことがあるんですよ。あなたのやっていることは福祉ですよって」

そう言われてびっくりした。自分は福祉の専門家でもなんでもないし、ただ自分に出来ることをやってきただけ‥…これが福祉なのか、と。

「正直、いまだに福祉というものがわかっていないんですけれど、すごく印象に残るお言葉でしたね」

平成10年、こうした活動が認められ、財団法人東京都地域福祉財団から助成金が交付されることとなった。今年の春までつづいたこの活動資金は生活指導の費用に充てられた。

「部屋を借りて、そこでいろんな会を開いたんです。食事会やお泊まり会など、そうした場に障がいを持った子たちやボランティアさんを招いて生活指導をする。こんにちは、とか、ごめんください、と挨拶するのも指導のひとつ。障がいを持った子たちには人とふれあう場が必要なんです」

互いにふれあう、ということはボランティアにも必要な体験だ。コンサートも当初のうちは、ボランティアと障がい者の間に溝があったという。そこを「垣根をとっぱらえ」というのがつださんのやりかた。その第一歩が互いにふれあうということなのだろう。

「福祉ってなんだろうって、いまだに思うんです。ただひとつ、はっきりしているのは、福祉とは明るくあるべきもの、これですね。そして人間はみんな同じなんだ。それを強調したいと思います」

こうしたつださんとその仲間たちの活動に対しては、これまでに「荒川区政特別 功労賞」や俳優・森繁久弥氏、津川雅彦氏らが主宰する『サンクスの会』から「ベストサンクス賞」が贈られている。

それにしても無報酬でよくぞ30年以上も、と驚いてしまうが、「わたしのほうこそみんなに生きるカを与えられてきた」とつださんは話す。

「ただ、大きなコンサートを自分で企画するのは今年が最後。さすがに体力的にきつくて」

誰かが後を担ってくれれば……そんな願いも少しはあるという。



※コールコアラ・コアラinDaisyは、主に荒川区立心身障がい者福祉センターと荒川区立障がい者福祉会館で活動しております。





障がい者とのふれあいの場を多く設け、また生活指導もおこなってきました。