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第32回福祉ふれあいコンサート(H18.8.28池袋の東京芸術劇場)は、楽しく活気溢れるステージでした。 |
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『福祉ふれあいコンサート』の最大の特徴は障がい者が自ら参加して楽しめる点だ。舞台に立てば障がいがあっても「スター気分になれる」のがいいところ。こんなコンサートが生まれたのは、やはりつださんのカによるところが大きい。 が、本人に言わせれば「たまたまの産物」だったという。つださんの本業は音楽家としての個人教授。自分の教室の生徒にピアノや歌などの音楽を教えるのが仕事だった。生徒は子どもや趣味で音楽を楽しむ人、それに音楽を必修とする保育園や幼稚園の先生、福祉施設の職員などがいた。そうした教え子たちとの交流のなかで、あるとき 「荒川区の障がい者福祉センターに来てもらえませんか」という話があった。 「聞いてみると、センターに集まるお母さんたちがクリスマス会でコーラスをやるから指導してほしい、という話でした。で、行ってみたら、なにしろ障がい者福祉センターでしょう。そこにはお母さんたちだけじやなく障がいを持ったお子さんたちがたくさんいたんですね」 これがいまに至る障がい者たちとの出会いとなった。 「お母さんたちが言うんですよ。自分たちも音楽会に行きたいし、そういうものに参加してみたい。でも障がい児連れで受け入れてくれるところなどはなかなかない、まして障がい児が参加できる音楽会などないと」 つださんは思った。 そういう音楽会があってもいいんじやないだろうか……。 目の前にはかわいい子どもたちがいる。 「言葉が出ても出なくても、耳が聞こえても聞こえなくても、この子たちを舞台に立たせてあげたい」 自分がやればいいのだ、と思った。幸い、ホールを借りての発表会ならピアノ教師としての経験があった。なにも迷うことはなかった。 「こういうきっかけですから、福祉だとかボランティアだとか、そんなことは全然意識しませんでした。音楽家なんていうのは良くも悪くも世間知らずですから、言われればその気になってやってしまうものなんです」 つださんの頭にあったのは、当時から平等の精神だった。なかには「障がい者を舞台に上げるだなんて、晒し者にするつもりか」という非難の声もあったが、多くの人は賛同してくれた。まずはセンターに集まるお母さんを対象に歌唱指導をスタート。年を経るにつれ、そのネットワークを広げてゆき、昭和60年には『科学技術館サイエンスホール』での手作りコンサートを実現した。以後、コンサートは大小合わせて32回。東京芸術劇場だけでも4回に及ぶ。参加団体もいつのまにか約40と膨らんだ。小さな思いから生まれた活動が大きな花を咲かせたと言えよう。 |
声楽家としての活動(チャリティーコンサート・オペラ夕鶴)ほか。 |
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お母さんたちの合唱団に『コールコアラ』という名称をつけたのは14年前のこと。ネーミングには「あらゆる人たちと動物のコアラのようにおんぶしたり、だっこしたり」という自分たちの気持ちが込められている。練習は月2回、荒川区の施設を利用して行われている。朝から夕方までみっちり。だが、生徒はみんな、とくに障がい者の人たちはこの日が楽しみでならないようだ。 |
障がい者とのふれあいの場を多く設け、また生活指導もおこなってきました。 |
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