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義母を看取り終えたときは、まだ40代になったばかり。仕事には就いたものの、このまま介護から卒業という気分にはどうしてもなれなかった。3年半の介護生活は、介護者である自分にとってもきつい日々だった。自分の介護は終わったが、世の中には現在も自分と同じ悩みを抱えて頑張っている人たちがいる。その思いが「活動」へと小泉さんを駆り立てた。 「それで、平成五年くらいから、『ブーケの会』に顔を出すようになったんです」 『ブーケの会』誕生のきっかけとなったのは大泉保健相談所での「精神保健講座」だった。講座で勉強するのもいいけれど、自分たちのたまっている思いを話せる場がほしい。ならばそうしたものの母体となる家族会を作ろうではないか。集まった介護家族のなかにそうした機運が高まった。そこで保健所内に「認知症高齢者家族会」を設置することとなった。練馬区内には6カ所の保健相談所があるが、そのなかで認知症にいちはやく取り組んでいたのがこの大泉保健相談所だった。逆に言うならば、ここ以外には認知症の家族が集える場所はなかったとも言える。 なにしろ当時は現在に比べて認知症への関心は社会全体で薄かった。「認知症」という言葉もなく「痴呆」あるいは「ボケ」と呼ばれていた。医師の知識も深くはなく、たいていは「歳を取ったのだから仕方がない」で済まされていた。「当時を振り返ると隔世の感がある」と小泉さんは話す。現在は介護保険制度のおかげで認知症患者やその家族をサポートする施設、サービスはずいぶんと増えた。だが、ほんの20年前まで、日本人はいったん家族が認知症となったら、それこそ孤軍奮闘するしかなかったのである。 家族会の活動も最初は小規模なものだった。メンバーは5、6人。少ないときは2人しか集まらないときもあった。しかし、地道な活動は徐々にだが会を大きくしていった。社会の高齢化が進み、介護家族が増えてきたこともそれに拍車をかけた。 平成8年には、『ブーケの会』は保健所の事業から自主グループとなる。小泉さんは専任となって会の運営に力を注ぐこととなった。会員の多くは現役の介護者だけに、自分のように時間があるものがやらねばという責任感があった。翌9年には練馬区社会教育団体に登録。高齢化社会はすぐそこにあり、それだけにこうした「場」は恒久化されることが望ましい。そんな会員たちの希望もあり、13年には練馬区生涯教育団体への登録も果たした。 |
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会の活動の基盤となるのが毎月の定例会だ。これは会員同士のヒアカウンセリグを中心にした懇談会。切実な問題から雑談まで、介護者にとっては相談の場であり息抜きの場ともなっている。随時開かれる勉強会では認知症に関する理解を深めるとともに、介護保険制度や在宅・施設サービスの利用方法、さまざまな実践的ケアの方法などを学ぶ。何事も自分で調べるより他人から聞いたほうが早いのは認知症の介護も同じだ。保健師や栄養士から介護者の健康維持について講習も受けている。 |
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昨年、小泉さんは社会福祉士の資格を取得した。相談を受けるには専門的な知識が必要だとの判断からだった。受験勉強中に練馬区社会福祉事業団の研修旅行で福祉先進国のスウェーデンにも行った。現地ではグループホームやヘルパー事業所、障害研究所などを訪問し、日本との違いや見習うべき点を吸収してきた。 現在は『ブーケの会』の活動のほかに、『成年後見推進ネットこれから』の活動に勤しんでいる。成年後見は認知症や障害を抱えた人にとっては「より良いケア」を支えでくれる制度だ。これをもっと積極的に活用し、社会に広めていこうというのが小泉さんたち発起人の願いだ。 「実を言えば、これは自分のためでもあるんです。私たち夫婦には子どもがいないので、いずれはお互いに、あるいは第三者の方に成年後見をお願いすることになる。私たちを含めて団塊の世代の皆さんに、10年後、20年後を見ていまから準備しましょうと声をかけていきたいと思います」 『成年後見推進ネットこれから』はNPO法人とする予定。誰もが幸せな人生の幕引きを迎えられるように。小泉さんやその仲間たちの奮闘はまだまだつづく。 『ブーケの会』(練馬認知症の人と家族の会) 連絡先 〒179−0082 東京都練馬区錦1−22−12 TEL:03−3550−7217 FAX:03−5399−7879 |
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