不思議な名前のうどん屋さん あべしげこ さん

―地域が子どもたちを育てる(子育て)―
瀬上新次さん/瀬上康子さん(熊本県熊本市)

挨拶、公園のゴミ拾い、ちいさなことでも実行していけば、なにかの役に立つかもしれない。そんな気持ちで受けた団地の自治会役員。そこでの出逢いから生まれた〈おえかき会〉。子どもたちが気軽に「おじちゃん、おばちゃん」と声をかける、「おはよう」「お帰り」「今日は元気ないねぇ、どぎゃんしたと?」子どもたちに声をかける瀬上夫妻の物語をお届けします。

せのうえ しんじ & やすこ
1946年(新次)、1951年(康子)、熊本県生まれ。
4人の子ども、7人の孫に恵まれる。新次さんは熊本県美術協会審査員を返上し、定年まで塗装業に勤務。団地役員を務め、2012年から夫婦で〈おえかき会〉を開催している。


「あっ! せのうえさんだー」、団地の公園で遊んでいた少女たちが、いっせいに声をあげた。

「おじちゃん、おばちゃーん、なんしょっとね?」弾むように駆けよってくる。この仲良し3人組は、〈おえかき会〉の常連さんだと後で知りました。

団地の子どもたちに向けて、瀬上新次さん、康子さん夫妻が〈おえかき会〉を開くようになって丸2年。新次さんの定年退職が一つのきっかけでした。康子さんに言わせれば、「絵画教室じゃないとです。ゲームもします。おやつも食べます。お絵描きのときも工作のときもある。

昔、画家をめざした主人の思いを、私がうまく引き出しながら、とにかく立ち上げてみてから考えればいいけん」、そんな気持ちでスタートさせたというボランティア活動。2カ月か3カ月に1度のムリのないペースで、公民館を借りて続けています。

毎回、夫婦でアイディアを出し合い、プログラムを考え、お知らせのチラシを手書きで作成する。チラシは開催日の2週間ほど前に、集団登校で公園に集まる小学生に配る。会を重ねるごとに、常連の子どもたちが手伝ってくれるようになりました。創作のテーマを決めて、クレヨン、クレパス、色鉛筆に画用紙、模造紙や色紙、空き箱、テープ、ハサミなど道具類もそろえ、おやつも用意する。おやつ代50円だけは参加者持ちです。


1回目の〈おえかき会〉には、康子さんの心配をよそに、小学生8名とお母さん2名が参加。テーマを決めず、自由に絵を描かせました。


「描き方でそれぞれの個性がある程度までわかるけんですね。先生のように教えたりはせんとです。もうほめるだけ。ただ、一人ひとり、ほめ方が違うです。どこをほめるか。色のバランスがいいなあとか、形が面白いなあ、強い線で描いたな、よかよ、上手だねえ…。色がきれいだねえ、ここに赤ばもってくると、まだきれいかもしれんようとか、たまには言うですけどね(新次さん)」

「主人は上から目線がない、子どもに寄り添う姿勢だけ」、それが子どもたちをのびのびさせていた。

「隅っこで描いてる主人の絵の周りに、みんないつの間にか座って、一生懸命見とらしとった。興味しんしんで楽しそう。主人の顔も輝いていて、やったなと思った」、康子さんがうれしそうに言う。

4人目の子が生れるまで、新次さんは絵を描いていた。19歳で県美(熊本県美術協会展)に入選、審査員にまでなり、二科展にも出品し個展も開いた。でも長男の小児喘息をきっかけに筆を折り、以来30年、塗装工として勤めあげたのでした。

「退職して庭の掃除をしてる主人の姿を見てたら、このまま終わっていいんやろかって。絵、描きなっせとすすめても、いやあって。私のほうがモヤモヤしとったです」。そんなとき、新次さんの心を揺さぶる一つの出逢いがあったのです。

それは団地の自治会が行う懇親会でのこと。康子さんは子育てのことで相談を受けた。小学5年の息子が絵ばかり描いている。絵なんかやめて勉強しろという舅との板ばさみで悩んでいるという。うちの主人も絵が好きだと話すと、次の懇親会ときに息子さんも連れてこられた。その日は新次さんも参加。宴会のただ中で黙々と絵を描くその少年に、「いいね、いいね、これずっと伸ばしてって。ほんでまたおじちゃんに見せて」。康子さんは言う。「絵を見て話しかける主人の横顔が、生き生きしてた。父の猛反対を押し切って結婚した、その責任もあるし、家族への愛情で我慢してたけど、やっぱり体の半分以上は絵が占めてるんやろうと思って。その日の夜に〈おえかき会〉をしようと決めました」

夫に相談すると賛成してくれた。地域の子どもたちの役にたつかもしれない。おまけにあの男の子も来てくれるかも。「個性的で面白い絵だった。あの子の絵が、どう変わっていくか、ずっと見たいなあと思ってですね、やってみようって」

自治会の会長にも相談した。大賛成だった。

新次さんが穏やかな声で、こう続けました。

子どもの顔見たら、うれしかですよ。ニコニコして明るくて、元気もらえるとです。まだまだ頑張ろうって、そういう気持ちになるけんね。またやろかーと。お母さんも来なはるでしょう。だんだん輪が広がって、少しずつ参加者が増えていったりする。こりゃ地域にとっては大事なことと思うとですよ。地域を仲良くしていかんと」



瀬上さん夫妻が暮らすのは、熊本市郊外の団地。広大な敷地に一戸建ての家が164軒、閑静な町並みをつくっている。ここに暮らして18年、「地域」を意識したのは、団地の自治会役員になったのがきっかけでした。当時の二人は康子さん59歳、新次さん64歳。若いうちのほうが楽という知人のアドバイスを受けて、公園管理と地区青少年活動委員を引き受けた。役員数人で団地の入口に立ち、登校中の小中学生に「おはようございます。いってらっしゃい」と声かけする挨拶運動。公園の清掃活動。そうした活動を通して住人が顔見知りになり、会合や懇親会で「ああ、あのときの」と言葉を交わす。団地や地域が抱える実情にも目が開いたのでした。


「みんな暗いうちに家を出て(市内に出勤)、暗くなると帰ってくる。向かいの家の人とも2カ月ぶりねえっていうくらい顔をみない」。自治会活動をしても懇親会にも、来る人の顔ぶれは限られていた。人と人との繋がりが都会並みに薄くなった分、ささいなことで苦情やトラブルが増えている。そんな会長の打ち明け話に痛感。

「地域の触れ合いをなんとかせんと、いまから先は大変なことになる」

新次さんは役員を2年間務めたあとも、余裕があれば公園のゴミ拾いを、挨拶を心がけた。再就職した職場への行き帰りに自転車を走らせながら、「こんにちはー」「頑張ってねー」「バイバーイ」。相手も「おっちゃーん」と手を振って返す。

「かわいい、かわいい。微々たることだけど、認めてもらったってことですよ、僕たちが」

自治会役員を受けて、最初はいやだなあと。いまは巡り合わせに感謝している。懇親会で少年の絵に出逢わなければ、〈おえかき会〉もなかった。 


少年とはその後、絵を通じて家族ぐるみの付き合いに発展。この春、私立中学入学が決まったという知らせが届いた。「人と人との触れ合い。あったかな気持ちになって、希望が湧いてくる。そのきっかけをもらったけん、ありがたいですよ」



〈おえかき会〉の活動は、2人の孫を連れて手伝いにくる長女の姿を通して、康子さんにもう一つ出逢いをもたらした。新たな自分自身との。

子どもの頃から、おとなしくて目立たない長女が康子さんにはもどかしかった。利発で人にほめられる同居の姪とは大違い。そもそも明るくてヒョウゲモン(熊本弁:ユーモアがある、人を喜ばせる)の自分とは真逆の性格。心のどこかで、「はっきりしないドンくさい」という目で長女をみていた。やさしい父親のことは大好きでも、母親の自分を便利なお助けマンぐらいにしか思っていない。そんな後ろめたさ。その長女が、「私が抜けるところを、しっかり補ってくれる。口に言わんけど、ちゃんと見てくれている。動いて助けてくれる」

家族が仲良く暮らし、ご飯を食べて、子どもが元気に学校へ通ってくれる。それだけで幸せという新次さん。そんな人と一緒になったのに、心の底には根強いコンプレックスがあったと康子さんは気づく。県の歴史年鑑に載るような本屋に生まれ、家族も親族も高学歴でエリート。自分は勉強は最低だけれど、高校生向け文芸誌に小説を応募して、採用されて、2年近く東京の出版社で働いた。挫折して帰ってきたけれど、結婚して、『くらしのこころ学』を始めて変われたと思っていた。

「でも、賞状やメダルや表彰台、そんなものにやっぱり囚われていた。その物差しで子どもらを測って、受け入れられなかった。本当に恥ずかしい、申し訳なかったと、わが子に詫びたですね」

近所に住む次女も3人の子を連れて、〈おえかき会〉にやってくる。独身の三女は、車で送り迎えしてくれる。康子さんは、なにが幸せか、夫の言葉をいまやっと思えるようになった。

「この〈おえかき会〉を通じて私たち夫婦のせめての希いは、『ありがとう』が言える子どもたちに成長して欲しいということだけです。体いっぱいに楽しみ、よろこび合った、あのとき、このときが心に残ってくれればいい。成長しても『おじちゃん、おばちゃん』という存在でいたいですね(新次さん)」

大人になり悩みや苦しみを抱えたとき、みんなで遊んだ時間を思い出し、頑張ろうと思ってくれればうれしい。将来に向けて、素直な子に育ってほしい。思い遣りをもった人になってほしい。そして親が子を、子が親をあやめるような痛ましい事件なんかない国になればいい。大きなことは言えないが、そういう気持ちだけでももって、夫婦二人三脚で少しでも役に立てればと思っている。