麻布台学校教育研究所 所長
中 進士さん
「麻布台学校教育研究所」は昭和58年設立。初代研究所長・森要七氏は、設立の趣旨として「民間の研究所としての特性を活かし、特に学校教育への支援を重視して、創造性・柔軟性のある発想と思索による諸事業を行う」と述べています。
以来、この設立趣旨に基づき調査研究、教育懇話会、研修講座、および教育情報誌の刊行を続けています。
今回は、現・研究所所長の中進士氏に、同研究所の取り組みとその果たす役割についてお話を伺いました。
教育研究所は民間を含め数多くあります。しかし、学校教育と銘打ったものは極めて少なく、「麻布台学校教育研究所」は、まさにこの「学校教育」の進展を支援しているところが大きな特色です。
支援の中心となるのは現職の先生がた、管理職である校長、教頭、副校長、中間管理職の主幹教諭、さらには若手の教員まで、趣旨に賛同してくださる学校の先生を対象に、教員としての資質向上をサポートするのが狙いです。
現在取り組んでいる事業としては、「調査研究」および「研究発表会」、「教育懇話会」、「研修講座」があります。
まず「調査研究」は、学校教育に関わる諸問題について、賛助会員の所属する小・中学校の協力を得て、毎年子どもたちにアンケート形式の意識調査を行い、その分析と課題の究明に当たっています。
調査研究というと、文科省などの依頼に応じて学校内で行うことが多いのですが、当研究所では行政機関や教育委員会に一切とらわれることなく、独自の考え方で調査研究を進めています。
しかし、スタッフは事務方を含めて計5名。人員、時間に限りがある中、ひとつひとつの教科を調査研究するのは難しく、これまでは教育の基本となる道徳教育や教育相談など、子どもたちの意識や生活を中心に研究テーマとして取り上げてきました。具体的には、平成23・24年度は『子どもたちに、自分への自信を持たせるために』、25・26年度は『子どもたちの「自立・自律」の実態』などです。
そうした流れの中、27・28年度は、前例にない特定の教科「体育・スポーツ」を対象に調査研究を行いました。一教科に絞っての実施は、当研究所30年余の歴史の中で初めてのことですが、子どもたちの体力が「下げ止まり」といわれる中、2020年の東京オリンピックを目前に控え、学習指導要領が改訂されたこの時期に、あえて行うことに大きな意味があると考えたのです。
これまでの調査研究では、それぞれの時代の子どもたちの考え方や社会の状況、自己認識や集団生活への関わり等々を中心テーマにしてきました。その中で今、話題となっているのが「自己肯定感」です。
「自己肯定感」とは、文字通り「自己」を「肯定」する感情のことですが、日本の子どもたちは諸外国に比べて圧倒的に低いといわれます。たとえば、「勉強よくできるね」と言うと、「いえ、ダメです」と答える。韓国や中国、アフリカの国々の子どもたちに「勉強してますか?」と聞くと、みんな「やってます」と売り込むのに、日本の子どもたちは「ぼちぼち」とか「やってない」とか言うんですよ。国民性でもあるのですが、もう少し自分を肯定してもいいのではないでしょうか。
ただ今回、「体育・スポーツ」に絞った調査では、自分たちで評価させる項目において、かなり是正され、自分を公平に見直すことができるようになりました。とはいえ、諸外国、特に発展途上国の子どもたちに比べると、自己肯定感はまだまだとても低いです。
また今回、実践事例として小学校2校、中学校1校で実験授業を行いましたが、これがなかなか面白かったです。
中学校ではソフトボールと柔道の授業を行いましたが、ソフトボールでは男子でもボールが投げられない、バットの握り方が分からない。一方、柔道は、まったくやったことがない生徒がほとんど。柔道は怖い、汗臭いというイメージがあるのです。それでも実際にソフトボール、柔道を体験してみると、興味や関心が高まり、主体的に取り組むようになります。ただ実際に指導する先生にとっては危険回避が何より大切。柔道も球技もそこから始まります。体育の指導では、安全への配慮を最大の目標にしています。
小学生には2020年開催の東京オリンピックに向けて、どんな意識を持っているか聞いてみました。すると簡単に「金メダルを取りたい」とか言うのです。国体に出場するのも大変、甲子園のボールボーイになるのも大変、ましてや一流の選手になって、オリンピックで金メダルを取ることはとてつもなく大変なことです。それを分からせ、自分の能力をきちんと認識させる。その上で目標を持ち、順序立てて、頑張るという指導をすることが必要です。
つまり「自己理解」です。自分を理解してどう取り組むか。こうなりたいという意欲はあるが、小刻みな目標を立てて、それを継続する。それがなかなか苦手のようです。
実は、今年3月公示の学習指導要領で、初めてオリンピック・パラリンピックを通してという言葉が明記されました。これは注目すべきことです。
私自身、オリンピックになると日本の選手を応援します。愛国心というと大げさですが、オリンピックでは国を応援する、国体では住んでいる都道府県を応援する、さらに市町村、学校、クラス、そして自分の家庭を応援します。自分の親は普段は格好悪いが、自分のことを大切に思ってくれている。そのように自分を見つめ直し、家族を大切にする、といった見方ができるようになります。
また、パラリンピックでは、健常者ができない走りをする障がい者を目の当たりにして、優れたアスリートを尊敬し、自己を向上させようとする意識を育てる。日本の将来を担う子どもたちには必要なことであり、良い機会だと思います。
この調査研究の成果は、毎年、研究発表と研究紀要の配付によって広く公開しています。そして今年も5月31日に研究発表会を開催しました。ただ昔と比べて先生がたが集まらなくなりました。昔も先生は忙しかったのですが、最近はまた違う忙しさが増えているようです。
学校には夏休みや春休み等の長期休業がありますが、その際の先生の勤務はどうなっているのかと聞く人がいます。普段忙しいのだから、その時ぐらいは休ませてほしいと思うのですが…。また夏祭りのパトロールにも先生が参加するわけです。夜の9時、10時まで夜回りしますが、地元の人はすぐ家に帰れます。しかし先生はそこから1時間以上かかるところに住んでいる場合が多く、いろいろなことが学校に頼られているんです。
一方で、先生がたも昔とは違ってきています。教員採用試験が難しく、並大抵のことでは合格できない。小さい頃から成績が良く、それなりの大学に入学して、そこでも良い成績を取る。大学で部活動に取り組んだ、趣味の音楽や映画、読書にのめり込んだ、そんな人は合格できない。つまり教師になる人は、失敗体験、挫折体験をしたことがないのです。だから悪いことする子どもの気持ちがわからないことが多いのです。
また、担任になると、想像を絶する家庭の子どもがいることがあります。父親が借金を抱えて逃げた。生活保護のお金を競馬に使った。給食費が払えない、修学旅行や卒業アルバムの費用が払えない。そんな貧困家庭の子どもたちの気持ちを理解するには多様な経験が必要です。当研究所では、各方面で活躍されている方を講師に迎え「教育懇話会」を開催しています。
今後の役割としては、「できるだけ幅広い人格と知識を持った専門家としての教師」を少しでも多く育てて行きたい。そのためにも、学校で一番進歩的、先進的な校長、教頭、副校長の皆さんが、もっと勉強してください、そして素晴らしい後輩を育ててくださいと願っています。
中 進士(なか しんじ)麻布台学校教育研究所 所長
○昭和11年2月16日生まれ ○東京学藝大学卒業。東京都中野区立第二中学校・港区立青山中学校の校長を経て、平成8年麻布台学校教育研究所入所。現在、同研究所所長を務める。
○多摩市教育委員会・教育委員長、東京都市町村教育委員会連合会会長・同顧問、全日本中学校長会会長、日本中学校体育連盟会長、中央教育審議会専門委員、教育職員養成審議会委員等を歴任。
研究紀要…調査研究をまとめた研究集録。
年1回発行。
講師 鎌倉考古学研究所理事/鎌倉を愛する会会長
大貫 昭彦氏
『麻布台学校教育研究所』では、会員を対象として年6回「教育懇話会」を開催しています。その中で、今年2月14日、鎌倉考古学研究所理事で「鎌倉を愛する会」会長の大貫昭彦氏をお招きして開催した講演内容を一部抜粋してご紹介します。
私は長谷寺のすぐそば、鎌倉に住んで四半世紀。中学・高校の国語の教師を早めに退職して、NHK、朝日カルチャーセンターの講師などをしながら、鎌倉を愛してくださる方を少しでも増やそうと務めています。私の話を聞いて鎌倉の魅力を知り、自分たちの住む地域の町づくりに活かしてください。
一昨年鎌倉は、世界遺産登録に失敗しました。理由は、私どもの考古学研究所を含めて、鎌倉市も県も国も、ユネスコの審議機関であるイコモスに対して何をどうアピールするか、理念の柱が明確でなかったからです。
「武士の造った街」では石の遺産が多く残っている欧州にかないません。建物もほとんど当初のものは残っておらず、文書も不十分。その他の遺産も時代によって少しずつ姿を変えながら残っている、という状態です。
鎌倉は奈良や京都に比較して、当初から残されたものが非常に少ないことはお分かりでしょう。ところが鎌倉は、世界的にみても発掘が頻繁に行われ、木製の遺物が多く見つかっています。また周辺諸科学の発展により捨てられていたものが文字資料として活用できるようになりました。
有名な建物などの多くは江戸期以降のものですが、木製の出土遺物は、ますます重要な文化財として、注目されつつあります。その意味からも、豊富な遺物を集めた博物館をつくるべきだと、私は以前から主張しています。
鎌倉は人口17万人の町としてではなく、東アジア・モンスーン地帯の文化の発信基地として提言をしていけると思うのです。お土産の「鳩サブレ」以外にも良いものがたくさんあります。平安時代から相模国の郡役所として町がありました。それが基になって一五〇年間の政権都市になり、その後も足利氏が、そして小田原の北条氏が後を継ぎました。江戸期も、家康の祖先の地だということから鎌倉を大切にし、家康の命令で鎌倉幕府の公式記録である「吾妻鏡」を出版しました。この本がなければ、鎌倉期の史実も大半が分からなかったでしょう。その後明治になり、お雇い外国人の静養地・健康都市・別荘地として発展しました。これらは偶然の結果ではなく、頼朝の考え方、中世の人たちの感覚が生きていたからではないかと思うのです。
@吾妻鏡から・頼朝の素顔〈1〉
平家を滅ぼした後、東北の平泉地区の豪族、藤原一族を滅亡させた奥州征伐の頃の話。文治五年(一一九〇)、義経を討った後、藤原一族を倒すも残党が決起。その反乱に対し、頼朝は柔軟に対応します。最初の策が失敗すると、すぐに修正して反乱軍を破ります。こうしたしなやかさは、鎌倉武士に共通した長所です。
A吾妻鏡から・頼朝の素顔〈2〉
元暦元年(一一八四)の資料では、貴族出身の藤原俊兼が、派手な衣装を身に着けて出任したとき、頼朝自らが短刀で袖を切り裂き、叱った出来事は、頼朝の厳しい一面を示しています。他の御家人が質素な生活を送っているのに、所領もわずかなお前が、なぜ倹約をしないのかと贅沢を戒めたもので、傍らに控えるご家人たちは心から驚いたという内容です。
B吾妻鏡から・頼朝の素顔〈3〉
熊谷直実に対する寿永元年(一一八二)の記録では、素朴で剛毅な性格を高く評価しています。熊谷直実は一の谷の合戦で15歳の平敦盛を討った話が平家物語で有名ですが、15年後の吾妻鏡では、一族との領地争いで弁が立たず、きちんと説明できなかったことを悔やみ、髷を切り、仏門に入りました。頼朝は、何度も思いとどまるよう働きかけたという内容で、東国武士の純粋さと、それを愛する頼朝の誠実さが示されたエピソードです。
C徒然草(吉田兼好)
平安末期は軍記物・日記文学、さらに随筆も多く書かれました。吉田兼好は京都の人ですが、兄が相模の金沢文庫に勤務していた関係で鎌倉を訪れ、鎌倉武士とも付き合いがあり、その性格を愛していたと言われます。しかし途中から武士に対する見方が変わってきます。鎌倉駅の南方向、御成小学校の近くに有名な武家屋敷跡がありますが、鎌倉末期から室町にかけての邸宅跡では、初期の武士とは大きく違った貴族趣味の状況が推察されます。武士の堕落が裏付けられる証拠であり、兼好が嘆くほど、武士の趣味は初期の朴訥剛毅からかけ離れたものになっていったのです。
D鎌倉武士の素顔
「六波羅殿家訓」は、承久の乱や貞永式目で有名な北条泰時の弟、北条重時の定めた家訓です。前の資料で武士の堕落が指摘されたのに対して、武士の心得るべきことを細かく定めています。利潤を追うな、腹を立てるなとか、座席の位置、酒の飲み方、集会の心得など細かく述べています。
「武士たちが造った街」である鎌倉は、ひとつの時代が終わってもまた次の時代に引き継がれるように続いてきました。たとえば明治維新後、中央から派遣された県令である沖守固、後に神奈川県知事に任命される人ですが、鎌倉を大切にする必要があるとして明治19年に史跡保存会を作りました。この会が作った橋の名称や由来を記した石碑がいくつも市内に残っています。その後、外交官として有名で神奈川県知事を務めた睦奥宗光の長男、陸奥広告が鎌倉史跡保存会(鎌倉同人会)を大正二年に創立。当時の碑が70本ほど残っています。その後、関東大震災で鎌倉はかなりの被害を受けましたが、復興に尽力してくれた人たちが沢山いました。このように多くの人たちが生まれ変わり、生き変わりながら鎌倉を守ってくれたのです。
このことを今の若い人たちが、鎌倉に来てくれる人に判りやすく説明する、これが今の鎌倉の使命なのではないかと思うのです。
講師 鎌倉考古学研究所理事/鎌倉を愛する会会長
大貫 昭彦氏
鎌倉といえばやはり「大仏」。大貫氏も見所のひとつとすすめています。
【事業内容】
〈1〉調査研究
学校教育に関わる諸問題について、子供の意識調査を実施。
その結果を分析し、課題を究明する。
〈2〉研究発表会
調査研究の結果を公開発表する。
〈3〉教育懇話会
教育、政治・文化等、各方面で活躍している一流講師の
講演を中心に、年6回開催する。
〈4〉研修講座
@教育管理職志望者向け研修
A若手教員向け授業力向上研修講座
麻布台学校教育研究所
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【刊行物】
研究所の事業は賛助会によって支えられています
◎新会員の入会については、電話やFAXで随時受け付けています。