梅雨が明けたのでしょうか、暑さもひとしお、じっとしていても汗が流れてきます。いよいよ夏本番、皆様には体調など崩されませぬ よう願うばかりです。 

さて、朝の家庭の始まりを前回に続き進めていきたいと思います。

私の主宰するセミナーの中で、朝、ご主人を寝床から見送るという奥さんの話を前回はしましたよね。その時の方で「うちは主人に毎朝必ず、温かいおしぼりとお茶と梅干しを持っていってあげていますという奥さんがいました。みんなで「すごい! どいういうふうに? なぜ? どうしてそこまで出来るの?」と聞いています。その方が言われたことは「主人の寝床まで持っていくんです。主人は寝たままおしぼりで顔を拭き、寝床でお茶と梅干しを黙って食べるんです。主人はそれだけで朝の食事はしません。おしぼりとお茶と梅干しを寝床まで持っていくのは、私の母もずっと父に対してそうしていましたから、妻の仕事です」そう言ったのです。そして、そういう奥さんに、ご主人は一言も「ありがとう」や「おはよう」の挨拶もないということでした。それでも妻の仕事として、淡々とやっているそうです。

新潟県松之山「美人林」如月
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皆さんが「息が詰まりそうね」と言うとその方は「私の父もそうでしたし、母も静かな人でした」と言うのです。夫婦の会話もほとんどなく過ごされていたんです。ご主人が夕食を家ですることもほとんどないと言っておられました。そのうち、皆さんからご夫婦の関わりや「そんなだったらやってられないわよ、言いたいことも言えないなんて、私だったらこうするわ」というような意見が出たりして、その方がセミナーへの参加を重ねる中で、少しずつ「自分たち夫婦はおかしいのでは?」と気づかれたようです。

さらに、高校生の息子さんが、人と話すことができず、家に閉じこもる毎日になってしまったことも、自分の人生を、生き方を考えるきっかけとなったのです。それからご主人とは壮絶なまでの格闘があり、やっと夫婦らしくなれたと言って頂けたのは3年後でした。

その方を通じて、お互い夫婦としてどんな思いで関わっているのか、仕方なくやっているのか、あるいは大切な人だからと思えてやっているのかによって、随分違ってくるものがあることを学びました。子どもがなにも喋らないのは、喋れない人生を親が手渡していることに気がつかなければいけないと思いました。何も言わなくても、その「思い」ということの大切さ、怖さを私は自分の体験の中でもあるんですね。

あなたはどんな思いで日常を過ごしていますか、どんな思いでご主人や子どもと関わっていますか?

次回はその「思い」から繋がっていくものについて、私自身の体験をお話ししたいと思います。  


平成10年6月(第6号)