皆様にはお変りもなくお過ごしのことと存じます。

さて前号に引き続き、私自身が実感してきたことを書き記してみます。昭和55年から続け参りました「学び合い」を思い返してみますと、子どもとの毎日が真剣だったこと、危機一髪という言葉が口から出そうになるくらい、学び合う喜びを味わい続けられたことなど走馬灯のように蘇り、胸が熱くなりました。

前号では娘のある日を思い出して書いてみました。今回は息子のことを思い出し書いてみます。息子は幼い頃いつも主人の側にピッタリとくっつき、どこに行くにも何をするにも一緒で、私は息子に

「私のおとうさんを返して」

とむきになって言い、

「僕のだ」

と言われ、よく言い合ったものです。

息子が5年生のときのことです。この頃は500円のお小遣いしか渡していませんでした。夏休みのある日、釣りの道具が欲しいとお金をせびったので、できた様子で金額を決める約束をしてきれいに取るようにと庭の草むしりを頼みました。真昼の2時間木も多く植えられた芝生の中を這い回り、大きなビニールのゴミ袋をいっぱいにして取っていました.。

息子の

「見て」

という大声で呼ばれて見た息子の姿は、真っ赤な顔で大汗をかいたまま芝生に大の字になってひっくり返っていて、その庭は1本の草もなくきれいに抜き取ってありました。


新潟県松之山「美人林」霜月
(3.3MB)


息子は大の字になったまま

「もうお金はいらないよ、お金を稼ぐことがこんなに大変て知らなかったよ。おとうさん大変だね」

と言って、それからはあまり何でも人が持ってるからと欲しがるようなこともせず我慢がてきるよになっていたのですが、私はそのとき息子の言葉で目に涙がいっぱいになりました。その優しさに私は「ありがとう」を何度も言っていました。もちろん、釣り道具を買ってやりました。

この経験が息子を成長させるキッカケになったようです。今も息子の中で生きているのか、私が無意識に無駄 なことをしていると注意されるようにも度々です。幼い頃の経験は貴重です。

平成12年1月