「海藻おしば」から学ぶ地球環境 『海藻おしば』でみんなアーティスト 海藻の色から地球環境を知る |
野田三千代(のだ・みちよ) 海藻デザイン研究所代表 |
|
野田三千代(のだ・みちよ)
|
||
|
||
「海藻おしば」とは何だろうか。 陸の植物に「押し花」があるように、花のない海の植物、海藻の場合は葉を押すから「海藻おしば」と呼ぶ。この海藻おしばを20年以上にわたって作り続け、講習会や展示会を通して普及に努めてきたのが海藻デザイン研究所代表の野田三千代さんだ。 グラフィックデザイナーの経歴を持つ野田さんが制作する海藻おしばはまさにアートだ。額装された立派な作品もあれば、パウチしたしおりやグリーティングカード、コースター、ランチョンマットといった生活アイテムにもなる作品もある。どれも「これが本物の海藻?」と驚くほどの美しさ。海藻に対する認識が一変するほどの出来映えに目を疑うほどだ。 「日本人の場合、海藻というとコンブにヒジキ、ノリ、ワカメと食べ物のイメージが最初に湧く。でも実は海藻には多種多様な種類があって、よく見るとすごくカラフルでユニークな造形美を持っているんですよ」 そう語る野田さんが海藻おしばに出会ったのは23年前のこと。当時の野田さんは、静岡県工業技術センターの工芸部デザイン課を結婚を機に辞め、自宅でグラフィックデザインの仕事を始めていた。そこへたまたま図面の件で依頼があり、訪問した下田の筑波大学下田臨海実験センターで、海藻おしばを目にしたのだという。 その日、センター内に入った野田さんは海藻の生理生態学の第一人者・横浜康継教授の研究室の壁に掛けられた1枚の海藻の標本に惹かれた。神秘的な紅色を帯びた、不思議な造形美。…驚きはすぐに感動に変わった。食べる物だとばかり思っていた海藻がこんなに美しいものだとは。しかも、目の前にあるのはあくまでも研究用の学術標本だった。 野田さんのなかで、クリエイターとしての何かが心を突き動かした。 「そのあとで標本棚の押し葉を沢山見たのですが、どれも海藻の色や形が生かされていない…。これをもっときれいに作ったら、押し花より美しい作品になるんじゃないか。これでは海藻がかわいそう。もっときれいに作ってあげたい」と。運よく研究室の補助職員を探していたところだったので、野田さんは頼まれてそのまま非常勤職員として迎え入れられることとなった。 下田臨海実験センターは純然たる海洋生物学の研究機関だ。美しさに魅かれて入所した野田さんだったが、海藻の生態学にも関心を抱くようになった。日本近海には約2000種の海藻が生息していて、なかでも伊豆半島は約400種で海藻の宝庫であること。陸の植物の葉が緑であるのに対し、海藻の場合は赤や褐色が多いのはなぜなのか。また、海藻が海のなかで果たしている役割とはどんなものなのか。 そうしたことを学んでいくうちに、野田さんの視野は地球環境全体に広がっていった。そして「海藻は私たちのルーツ」であるということを横浜教授から教えこまれてきた。 |
||
地球が誕生したのは約46億年前。海中に初めて原始生命が誕生したのが約40億年前。それから永遠とも思えるほど長い年月、生命は海を揺りかごとして進化を続けてきた。無数の植物性プランクトンとそれから進化した海藻類は光合成を繰り返して、地球上の二酸化炭素を減らし、酸素をつくり続けた。そして酸素から変化したオゾンによって地球のまわりにはオゾン層が形成され、生物に有害な紫外線が遮られた。 こうして、6億年前には生命の陸上進出の足がかりとなる緑色の植物が浅い海に誕生し、4億5000万年前にはついに安全な陸上に根を下ろすこととなった。一方で、植物プランクトンの遺骸は海底に堆積し、化石燃料=石油となった。酸素といい石油といい、どれも人類が恩恵にあずかっているものばかり。この事実を知れば、野田さんの言う「海藻は私たちのルーツ」という言葉の持つ意味がよくわかる。と、同時に海藻は今でも地球環境を保持するのに大きな役目を担っていることにも気付く。 「だから、本当は突き詰めて言うと石油や石炭は使ってはいけないんです。化石燃料を使うことは、太古に閉じ込めた二酸化炭素をもう一度放出すること。それが地球の温暖化やオゾン層の破壊につながる。人類は化石燃料を掘り起こすことで歴史を逆回しにしている。よく考えれば大変なことです」 多くの人は地球環境というと、どうしても陸上の動植物や大気の状態にばかり目が向いてしまうが、その根本は、目に見えない海の中にあるのだ。 「そこで、海藻おしばを通して海藻そのものや海を巡る環境について考えてもらえたらなと思うようになったんです」 最初は自分と同じ「美しさ」に魅かれたからという理由でいい。海藻おしばに触れることで地球環境の大切さを知ってもらえれば。野田さんの海藻おしば作りはこのようにスタートした。 もともと海藻の押し葉は200年以上も昔にヨーロッパで生まれたものだが、あくまでも学術用でしかなかったので、一般 の人の目に触れることはなかった。実は下田の海藻も最初に押し葉標本にしたのは外国人の研究者である。1854年に来航したペリー提督率いるアメリカ艦隊に同乗していた植物採集家ライトから送られた海藻類を、イギリスのダプリン大学の研究者であるハーペイ教授が標本にした記録が残っている。このとき発見された新種はワカメ、ヒジキ、オオゴノリなど約14種類。伊豆の海藻がいかに多種類であるかを証明する話だ。 野田さんは、その下田周辺の海岸を歩き、打ち上げられた海藻を拾っては押し葉にした。センターに勤め始めて3年目には、アートとしての「海藻おしば」の制作方法をマニュアル化し、海藻おしば講習会を開くようになった。5年、10年と続けるうちに最近では学校での授業、生涯学習などをはじめとして、環境問題がクローズアップされてきたので、各方面からの依頼がふえてきた。野田さんの活動は広がって全国各地に海藻おしばを作る人が現れ、同好会が組織された。好ましい傾向ではあった。が、徐々に問題も生じてきた。 野田さんの海藻採集は徹底している。材料の確保はあくまでも自然な形で浜に打ち上げられたものだけを拾う。食用は別として、海藻おしばの材料として海底に生えている海藻を採集するのは自然破壊行為で、本末転倒となるからだ。 「以前、あるダイビングスクールが主催する海藻おしば講習会のパンフレットを見たら、ダイビング中に海藻を摘んでこようという内容が書かれていたんでびっくりしたんです。環境を守ろうという私の提案とはまるで正反対。これじゃいけないと思いました」 また、あるグループは気軽に海藻おしばを作ろうと、スーパーで売っている海藻サラダを材料にしていた。これでは海藻の種類も役割も理解せずにただ形を追うだけで終わってしまう。「海藻おしば」の間違った独り歩きに、野田さんは焦りを感じずにはいられなかつた。加えて、恩師である横浜教授の退官という身辺の変化にも対応する必要に迫られた。 「でも、結局、私にできるのはこれまでと同じ信条で草の根的な活動を続けていくだけ。そして作品は多くの人に見てもらえるようにこれまで以上に美しいものを作る。5年前の海藻デザイン研究所の設立もその一環です」 さらに現在、野田さんは「海藻おしば協会」という全国規模の組織の設立に向けて奔走中だ。協会の目的は前述したように、ともすれば間違った方向に行きかねない「海藻おしば」を本来の立ち位 置に留めることと、さらなる普及。協会によって良い作品や良い指導者が増えれば、「海藻おしば」そのもののプレゼンテーション能力が向上する。多くの人に環境問題を考えてもらうキッカケになる。そう考えての行動だ。 |
||
日常はひたすら忙しい。普段は修善寺の自宅から下田まで通い、請われれば県内はもとより全国どこにでも飛んでいき、体験講習会や展示会を開いている。最近は自らの作品制作の時間もなくなってきた。講習会の材料集めも自分で行う。海に出ては海藻を拾い集め、分別
して冷蔵庫に保管する。テレビや雑誌、新聞の取材を受け、イベントにも参加する。眠る間もないような状態が年間を通
じて続いている。 だが、野田さんは「少しも飽きない」と言う。海藻の神秘的な造形美には、触れるほど魅せられていくものらしい。 海藻は、含んでいる色素の種類からも3グループに分けられる。赤い色が中心の紅藻類、それに褐色系の褐藻類、緑色が多い緑藻類、これを単体で使ったり、あるいは何種類も組み合わせておしばにする。紅藻類の代表はユカリやアヤニシキ、タマイタダキ、トサカノリなど。エンジ色を薄くしたような透明感が特徴だ。褐藻類はおなじみのワカメやカジメ、ホンダワラなど。緑藻類はヒトエグサやヒラアオノリ、アナアオサ。緑藻といっても、なかにはミルのようにくすんだ海松(ミル)色のものなどもある。 ちなみに、緑色の種類が分布するのは水深数メートルまでの浅い海。それ以上深くなると、光合成に必要な太陽光が緑色になるので緑色の植物は生息できない。深い所には、緑色の光をよく吸収できる紅藻類、褐藻類、そして海松色をした緑藻類が生えるのだ。 「海藻にとっての御飯は『光』。もし海が汚染されて濁ったら、この光が届かなくなる。海藻の茂みは魚や貝など海の小動物たちにとっては大切な住居であり産卵の場でもあります。海水を汚すと、海藻が土台になった海の生態系が破壊されることになる。だから、海は決して汚してはけけないんです」 野田さんが活動する下田の海は水質の美しさでは沖縄にも匹敵する。だが、近年は海藻が死枯する「磯焼け」と言われる現象が頻繁に起きているという。「磯焼け」自体は海流や水温の変化で偶発的に起きるものだったが、このところの度合いの激しさは人間の手による環境破壊が原因だと見られている。 まずは楽しむこと。海藻おしば講習会では、幼稚園児からお年寄りまで誰でも夢中になるほどで、今までの海藻に対するイメージが変わります。海藻と親しくなり、彼らの育つ海を大切にしたいという気持ちが芽生えます。 海藻おしばを通しての啓蒙活動は、今日も続いている。 ヲ「海藻おしば」についてのお問い合わせは 野田三千代 kaisouosibanoda@ybb.ne.jp |
||